2024年
11月04日
こんにちは!4回生の深田です。
早いものでもう引退ブログを書く側になってしまいました…
今回が私の書く最後のブログになりますが、暖かい目で読んでいただければ幸いです。
私は中学からボートをはじめ、10年間続けることができました。
そんな私の10年間を語らせていただこうと思います。
【中学】
始めたきっかけは兄の友達がボートをやっていたことや私の友達がボートをやっていたこと、新しいことを始めたいという思いがあったからです。小学2年生から兄の影響でバスケをはじめ、小学6年には友達の影響でバドミントンをはじめ、小さい時からいろいろなスポーツを経験してきた私ですが才能がなく道に迷っていました。中学に進学し部活の体験入部でいろいろな部活を体験してその時に楽しい!と思えたのがボート部でした。その時はただエルゴを漕いでいただけなのですが、顧問の先生、先輩方がみんな良い方たちで楽しそうに活動されているのを見て入部を決めたのを覚えています。今思うとめっちゃ単純な理由で始めたなと思います(笑)
初めてボートに乗った日は今でも鮮明に覚えています。せまいボートに乗り込む怖さ水面の近さ、ボートのスピード感や疾走感、そして漕ぐのがめちゃくちゃ難しかったこと。今となってはいい思い出です(笑)
そして2年生になり私のボート人生が少しずつ変わりました。春の風物詩の朝日レガッタに出場したり全中に出場させてもらったり強化チームに入れてもらったり、福井であった選抜大会に出場したり。この時からもっとボートを頑張りたい!と思えた年でした。3年生では最高の仲間たちと全国優勝を目指して日々切磋琢磨していました。最後の全中は福井の久々子湖であり私はダブルスカルで出場して3位で終わりものすごく悔しかったのを覚えています。でも、チームとして男子総合優勝と結果を残すこともできたのは当時とてもうれしかったです。
この時からライバルとして戦ってきたほたかとこのころから出会っていました!
ボートって世間が狭いなと思いました(笑)
そんな自分も中学のボートを引退して進路を決めるときに、ボートを続けたいなと思っていたときに瀬田工にいた先輩がインターハイで優勝・準優勝。国体で優勝というレイクスマガジンを見て瀬田工に行ってボートがしたい!強くなりたい!と思って瀬田工に行こうと思いました。(もともと工業系に興味があったことと勉強ができなかったというのはここだけの秘密です)
ここで中学の時の写真でも載せておきます(笑)
若いですね(笑)
【高校】
私の中で一番印象に残っているのが高校時代です。
高校時代の思い出は語り切れないくらいありますが、ここではほんの少しだけ皆さんにお届けしたいと思います。
忘れられないのは先輩や後輩と練習終わりにどれだけ疲れていても部室で遊んでいたことですね(笑)毎日みんなでわちゃわちゃしていた練習の日々はとても楽しかったです!練習は嫌になるくらいきつかったですけど(笑)でもそのおかげで体力もパワーも根性も付きました!
冬季練習のエルゴは今でも忘れないぐらい思い出がすごいです!
真冬に艇庫のシャッター全開で風通し抜群の中ロースーだけでエルゴを漕いでみんな汗で水たまりを作っていたあの日。冬季の週末の乗艇は毎回ヘッドレース。合宿や遠征など先輩や同期、後輩たちと必死で乗り越えてた日々。今思うと毎日が楽しかったなって思えます!
私の高校のターニングポイントは1年生の夏休みからです。インターハイ・国体・選抜を目指す強化グループに入ったことが始まりです。そこからたくさん練習して、合宿にも参加して私の高校ボートが始まりました。
1年生の終わりにあった春の選抜では私はクォドで出場していました。結果は惨敗。順位すらつかず終わりました。ですが、この時ダブルで出場していた同期が優勝する姿を見てうれしい気持ちと悔しい気持ち、負けたくない気持ちが同時に湧き上がってきました。おそらく私がこの大会でその優勝の瞬間を現地で見ていなかったら今まで本気でボートを続けることができなかったかもと思います。そこから少し経ち2年生の春、愛知であった中日本レガッタにシングルで出場しました。この時の自分はとにかくシングルが苦手で全くレース経験がありませんでした。初めてのWintechバックウィング(レース艇)での練習、レース不安しかありませんでした。でもこのレースの経験があったからこそ大きく成長できたと思います。熊本でのインターハイ・茨城での国体たくさんの大会で成長できたと思います!実はこの時ららんと同じ宿で宿泊していたり、表彰台で会っていたりしていたみたいです!やっぱりボートって世間が狭いですね(笑)
3年生になりコロナが猛威を振るっている中、進路を決めなければいけませんでした。瀬田工からボートで進学する人の多くが龍大や日大に行っていました。自分もはじめは龍大に行こうかなー。なんて考えていました。私が立命に進路を決めたのは高校生の時に高大連携合宿というもので立命の方と一緒に練習をしたことがあったからです。その時は牛山さんと尾上さんと一緒にダブルに乗りとても船の進み方が違ったりして大学生ってすごい!自分もこんな風に漕げるようになりたい!と思ったのがきっかけです。みんな龍大や日大に行くけど自分は立命に行ってみんなと正面から戦いたい!と思えたのも立命に行きたい!と思えたきっかけです。
こんな私でもなんとかとってもらえた立命館には感謝しかありません。
【大学】
そして大学ボートスタート!と思えばまたコロナ…
入学して最初のレースだった朝日レガッタは中止。全日本選手権がインカレと同時開催。
そしてレポート課題の大変さと勉強の難しさ。
思っていた大学生生活ではなかったですね(笑)
1回生
大学初めてのレースは関西選手権。(滋賀の国体選考だった気もする)
中学の時から何回か漕いでいる浜寺。初めての舵手なしクォド。先輩方と一緒のクルーでストローク。正直プレッシャーは半端なかったです。でもわけのわからん1回生に任せてくださった先輩方のあの姿を忘れることはないです。
インカレ兼全日本は今までのレースで一番プレッシャーがかかっていました。これだけは断言できます。クォドのメンバー自分以外4回生でしたから。一つのミスで先輩方を引退させてしまう。このプレッシャーは半端なかったです。最終的には何とか順位をつけて終わることができて安心しました。でも、引退される先輩方にもっといい順位を取ってもらいたかったです。この気持ちだけはこの4年間忘れることはなかったです。
2回生
5月にあった全日本選手権は忘れられないです。
初めての軽量級というカテゴリーでのレース。体重制限のあるレースで体重の落とし方も分からずうまく減量ができていなかった記憶があります。そして初めての海の森でのレース。戸田よりもコースが広く風が強くて、波が高い、オリンピック選手が去年漕いだコース。ワクワクとドキドキが止まりませんでした。この時はじめてほたかとダブルを組みました。2人とも背格好が似ているからかすぐに漕ぎがあった記憶があります。
この全日本でのレースがあったからこそ自分たちの強みや可能性を見つけることができました。私はほかの選手に比べて体は小さく漕ぎの長さも短く戦うのは厳しいと感じていました。ですが、この軽量級というカテゴリーがあったことでこんな私でも少しは戦えるのではないかと思うことができました。今思うとこの時軽量級で出場して本当に良かったなって思っています!
インカレもほたかとダブルで出場してボコボコされた記憶があります(笑)この時に軽量級で勝ててもオープン相手になるとここまで敵わないのかと思いました。正直めっちゃ悔しかったです。来年は絶対に勝つ!と思え冬季トレーニングに励むことができました。
3回生
5月の全日本選手権(リベンジ)
2回目の軽量級での全日本選手権。今回は減量の計画も立てて体力もパワーも落とさずレースに臨むことができました。一年間このレースで勝つというイメージを持って練習に取り組み勝つことができました。この時の嬉しさはなんとも言えないですね。最高の経験をさせてもらえたと思います。
インカレは1回生ぶりのクォド。3回生と1回生で組んだクルー。みんな頼りになってものすごく心強かったのを覚えています。
結果としては準優勝。悔しい結果に終わりました。
クルーでこの結果を出すまでに歩んできた過程を考えたときにうれしく思えるときがありました。この気持ちは大切にしたいと思いました。(悔しい気持ちは忘れていない)
4回生
全日本選手権(連覇を目指して)
3回目の軽量級での全日本選手権。3年間ほたかと組んだ軽量級ダブル。今回で最後になるペアは軽量級というカテゴリーで連覇して終わりたい!そう思ってレースに臨みました。
結果は準優勝。龍大の瀬田工コンビに負けました。2人の癖を分かっていたからこそ悔しかったです。この時に高校の顧問の先生が言っていたある言葉を思い出しました。
「勝つのは難しいけど勝ち続けるのはもっと難しい」この言葉の重み、深みを感じました。
この時に女子の連覇のすごさとその重みを感じました。今までの先輩方が積み上げてきたものを崩さないために感じるプレッシャーは半端ないものだと思いました。これに耐えて連覇している女子のみんな本当にすごいなと思いました。
そして最後のインカレ。
今年のインカレはクォドでリベンジや!と勝手に意気込んでいましたが私が出場したのはダブル。瀬田工コンビでのダブルめっちゃ楽しかったです。高校卒業ぶりの瀬田工ダブル。感慨深かったです。
結果は5位。勝たせてあげられなくて悔しかったです。でもレースは最高に楽しんで漕げました!龍大の瀬田工コンビには勝てましたが仲良く5位、6位フィニッシュ。仲がいいんですかね?(笑)
こんなに楽しいボート生活を送れたのは先輩方や同期、後輩のおかげです。
ここまで支えてくれた親にも感謝しかありません。
ありがとうございます。
最後になりましたが、コーチ、監督、部長、顧問、OB・OGの皆様、艇友会の皆様の支えがあり私はこの4年間本気でボートに取り組むことができました。
本当にありがとうございました。
これにて私の最後のブログとさせていただきます。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
以上、深田でした。